愛犬クマの鉄道模型製作備忘録

1/87,12mmと1/80,13mmの蒸気機関車の真鍮工作が中心です。 のばすが… 最近はかなり脱線、迷走しています。f^_^;)

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実機でも2号機の赤ナンバー姿は梅小路で2008年に実現しています。この写真は2008年6月28日に自ら撮影したものですが、まさか赤ナンバーなっているとは知らずビックリ驚喜したものです。


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デフ縁の装飾… 今に残るこの装飾は、実際のところいつ取り付けられたものなんだろうと再考。


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ところでこの白塗りランボード縁… ひょっとして宮原区時代のステンレス帯の上から塗ってる?


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いや、それは無かったはず。なのでいつかどこかで取り外されたという事でしょう。


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となるとキャブ窓縁も然り。かつてのステンレス?真鍮?の装飾の上からそのまま塗り潰されているとは思われず、これもいつかどこかで取り外されたという事になります。


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<鉄道ファン1971年12月号より>
渡道当初はデフ縁にしろランボード縁にしろ装飾が付いたままなので、渡道にあたり1957年に鷹取工場で整備された時点ではまだ取り外されてはおらず、小樽築港時代15年間のどこかで苗穂工場で取り外されたという事になります。何故なのでしょう?付けたままだと何か不都合や不具合があったのかな?分かりません。


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鉄道ファン1973年1月号。1972年10月14日の鉄道開業100年を迎え、梅小路蒸気機関車館が開館された時の発売号となります。


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'72-10-9 写真:編集部 とあるので開館直前に報道機関に公開されたのでしょうかね。


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2号機の姿。デフ縁の装飾が輝いています。


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こちらは鉄道ピクトリアル1972年12月号。


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この取って付けたような眩いデフ縁を見ていると… 鉄道車輌ガイドvol.3 C62 (ネコ・パブリッシング刊 2011年)に記載されている通り、やはり梅小路入りを前にして苗穂工場の整備で取り付けられたのでしょうね。文字通り、苗穂工場が取って付けたという事になります… (^ω^;)>







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宮原区時代のC62 2号機に赤ナンバー姿は果たして存在したのか?ですが、模型の世界ではありました。2001年にピノチオ模型がリリースした16番P.Aシリーズ  #8500 C62 2 東海道線 では、何の躊躇もなく赤ナンバーでした。価格は34万円、ちなみに#8504 C62 2 函館線バージョンは38万円でした。当時天賞堂の真鍮蒸機がまだ20万円前後だったので、ピノチオP.A C62はスッゲェ高かった超高級モデルだったという事になります。当然ながら愛犬クマに手が届くような代物ではありませんでしたが、新婚当時の嫁さんに恐る恐る買ってもいい?と聞いたような。はあっ?ってすごい顔をされて、だよねーっと誤魔化しながらあきらめたのを覚えています。


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ピノチオ模型は何を根拠に赤ナンバーにしたのか?よく分かりませんでしたが、おぉースゲーっと歓喜したものです。


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でも今見れば… ツッコミ所も多々ありそうです。なんかツバメマークがちょっと変?あれっ?なんでデフ縁の磨き出しが無いの?てかランボー縁もステンレスでなくて白塗りなのよ?


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キャブ窓縁の磨き出しも無いし、日立の文字が離れ過ぎ… 仲悪いのん?とかとか。シロクニスワロー研究家としてはまだまだ満足のいくモデルではないですな。と、ヒガミ半分の評価でした。(ー ー;)>

※写真は過去にネットオークションで出品された時の写真をスクショしたものです。








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昔の白黒写真から思いを馳せるシリーズ。愛犬クマの次なる疑問は、C62 2号機は東海道時代(1950〜1956年)に赤ナンバーをつけた事があるのか?を考察してみたいと思います。

特急牽引を担当する宮原区の機関車は、整備状態によりナンバープレートの地を赤、緑、黒に塗り分けており、赤が最高、緑、黒の順で状態を示したとの事。その整備状態が良かったと思われる宮原区のC62 35,36,41,42号機は赤ナンバーの姿をカラー写真で見ることができます。(鉄道ファン400号より)

一方、2号機といえば、あまり調子の良いカマではなかったと言われています。当時宮原機関区の特急組機関士 萱原登氏の回顧録が有名で、宮原区の機関車の中では蒸気の上がりが悪かったのがC62 2,15,42で、とびきり良かったのが29, 35号機だったとの事。(プレスアイゼンバーン刊 C62 より)

でも面白いもので、当時米原機関区の機関助士だった北川長作氏によると、宮原区C62の中で2号機が一番力が強かったとの事。(鉄道ファン400号より) どちら方の記憶も名古屋電化(1953年)前の浜松から大阪までの300kmロングランをしていた頃の機関車状態の記憶と思われます。

という事で、宮原区時代のカラー写真が皆無のC622号機は、赤ナンバーをつけた事はあったのか?一度も無かったのか? 実は白黒写真からの判別でそれらしき可能性のありそうな写真はなかなか見当たりません。でもシロクニファンの愛犬クマとしては、ここはやはり願望としてあって欲しいもの。


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<交友社刊 記録写真 蒸気機関車より>
そんな願望を叶えてくれそうな、ちょっと期待出来そうな写真がこれです。西尾克三郎氏が撮影された東淀川を渡る2号機。1951年8月29日撮影なので浜松へ向けてロングランに臨む、デフのツバメマーク装着も間もない新鋭若かりし姿の2号機です。この写真のナンバープレートって、ちょっと黒では無さそうでは?赤ナンバーっぽくないですか? …と期待したいところ。AI先生、どうよ!


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AI先生のご判定は黒ナンバーでした。涙!


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<蒸気機関車EX vol.51より 1954年3月31日 西村勇夫氏所蔵>
じゃあ、緑ナンバーを付けていたと言われているトップナンバーの1号機はどうなのよ?


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AI先生は緑とは判定してくれず。


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<交友社刊 高橋弘作品集1「蒸気機関車その良き時代」より 1956年3月1日撮影>
このショットではどうでしょうか?AI先生!


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やはり緑ナンバーとは判定してもらえません。


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<蒸気機関車EX vol.51より 権田純朗氏撮影1954年>
じゃあ、1レつばめを牽く名古屋区時代の25号機は赤ナンバーでしたけど… ですよね?


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えぇ〜!


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<蒸機機関車EX vol.51 大橋邦典氏撮影 1955年頃>
集煙装着取付け後の42号機は赤ナンバーですが…


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んんん〜、赤に見えなくもない?事もない?どっちやねーん!どうやらAI先生は赤だの緑だの… あまり興味がござらんようですな。σ(ー ー;)



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今回のブログネタは著作権的にちょっとマズイかもしれません。問題ありそうならご指摘下さい。 

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東海道時代のC622号機のデフレクター縁の装飾は本当にステンレスだったのか?AI先生に検証してもらうの続きです。高橋弘氏撮影の瀬田川を渡る2号機、超有名なこのカットだけはどうしてもカラーで見てみたい!


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AI着色ドーン!…ん?ちょっと期待外れ?実際はもっと黒光りして綺麗かっただろうに!


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同じく高橋弘氏撮影、京都駅構内の2号機。


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デフ縁は… 何となくSUS色かな?


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権田純朗氏撮影、名古屋駅での2号機。


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うーん、これも何となくSUS色かなあ?


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西村勇夫氏撮影、米原駅構内での2号機。


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これは、何となく真鍮色かも…


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同じく西村勇夫氏撮影、米原駅構内。


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うーん、ランボード縁のSUS装飾との対比で見れば真鍮色かなあ。にしても、こんな赤錆が浮いたような2号機なんてあり得ないですよ、AI先生!


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佐竹保雄氏撮影の2号機。この鮮明画像はどや?


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うーん、SUSかなあ…


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佐竹保雄氏撮影の2号機デフレクター。


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SUS?真鍮?分かりませーん!


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参考としてキャブ窓縁の装飾は?


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う〜ん、SUSかなあ。

という事で結局、SUSだったの?真鍮だったの?の疑問に、もや〜っとがお得意のAI先生は教えてくれませんでした。ますます疑惑は深まる!ですな。

で、最後のオチですが、愛犬クマがC622号機を模型製作する時は、定説通りのSUSとして洋白磨き出しで作る事になると思います。理由はそっちの方が色彩バランス的に整っていて模型的にカッコ良さそうだから。なんじゃそれーっ!(^_^;)>



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今回のブログネタは著作権的にちょっとマズイかもしれません。問題ありそうならご指摘下さい。

東海道時代のC62 2号機を収めたカラー写真というは皆無だと思っています。それ故に愛犬クマが以前から思う漠然とした疑問がいくつかあります。

そのひとつが、2号機の東海道時代のデフレクター縁の装飾は本当にステンレスだったのか?という疑問です。定説となっているのが、1950年に特急を牽引するに当たり国鉄当局からの通達でステンレスの装飾が鷹取工場でなされたとの事。(ネコ・パブリッシング刊1994年 日本の蒸気機関車より)

でも、本当にステンレスだったのだろうか?もしかして、実は真鍮帯だったのではなかろうか?という勝手な疑問です。

鉄道車輌ガイドvol.3 C62 (ネコ・パブリッシング刊 2011年)によると、現在に至る真鍮帯装飾は、梅小路入りを前にして苗穂工場の整備で取り付けられたとあります。が、本当にホンマかぁ?じゃあ元あったステンレス帯は?いつ?何の目的で?わざわざ取り外したの?という素朴な疑問。

愛犬クマが勝手に考えた仮説として、実は2号機が東海道時代の1950年に取り付けられた装飾はステンレスではなく真鍮だった。そして北海道に渡った後も真鍮帯はそのまま付けられていたが、整備毎にわざわざ磨き出されることも無く黒く塗り潰されたままになっていた。そして梅小路入りを前に最後の整備で、塗り潰されていた真鍮装飾帯をわざわざ磨き出しのではなかろうか?というものです。

愛犬クマが長年持ち続ける悶々としたこの疑問を、AI先生は果たして解決してくれるのだろうか?という事でAIによるカラー着色をやってみました。スマホアプリの無料の範囲内で試みた確認です。


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交友社刊 鉄道ファン1971年12月号です。この雑誌そのものは違いますが、この12月号を初めて読んだのは当時小学4年生の1977年だったかな、神戸市立東灘図書館で手にした記憶があります。


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巻頭の折り込み写真です。現役最後の姿です。


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そして12月号に掲載された小玉光氏の記事。あれっ?小玉光ってペンネームかな?今気づきました。


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そして著者が撮影された、渡道して間もない頃と思われる2号機の姿。1977年当時、2号機の東海道時代の写真は高橋弘氏の瀬田川を渡るつばめ号のあの写真しか見た事が無く、このショットに鮮烈なショックを受けた記憶があります。


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デフ部分を拡大してAI先生のカラー着色でどや?


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ビミョー!さすがAI先生、はっきりしてくれません。

続きます。






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